大阪高等裁判所 昭和24年(ネ)173号 判決 1950年3月28日
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人が昭和二三年三月一五日別紙目録記載の物件に対する買収計画につき控訴人のなした訴願を棄却した裁決を取り消す。訴訟費用は第一、第二審とも被控訴人の負担とする」旨の判決を求め、被控訴代理人は主文同旨の判決を求めた。
当事者双方の事実上の陳述は被控訴代理人において別紙目録記載の兵庫県津名郡生穗町中ノ内字原頭一〇七五番溜池一畝二五歩は原山世一の申請によつて右生穗町農地委員会が昭和二二年八月一四日買収計画を定めた同所字原頭一〇七四番田五畝六歩の利用上必要な農業用施設としてその買収計画を定めたものであると述べ、控訴代理人において右溜池一畝二五歩の現況は荒廃し溜池として利用できないから農業用施設として買収することは許されないと述べた外原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。
(立証省略)
理由
兵庫県津名郡生穗町農地委員会が昭和二三年一月二三日控訴人を別紙目録記載の田地の所在地である生穗町内に住所を持たないいわゆる不在地主とし、右田地をその住所のある市町村の区域外において所有する小作地として買収計画を定めたことは当事者間に争がなく、同農地委員会がその頃控訴人所有の別紙目録記載の溜池について既に昭和二二年八月一四日買収計画を定めた兵庫県津名郡生穂町中ノ内字原頭一〇七四番四五畝六歩の利用上必要な農業用施設としてその買収計画を定めたことは成立に争のない乙第二、第三号証によつて明白であり、控訴人がこれを不服として右各買収計画に対し昭和二三年二月四日異議を申し立てたが却下されたので、同月二八日被控訴人に訴願したところ、被控訴人は同年三月一五日右訴願棄却の裁決をなし、右裁決が同年六月一二日控訴人に送達せられたことは当事者間に争がない。
よつて先ず第一の争点である別紙目録記載の田地が自作農創設特別措置法(以下自創法と略称する)第三条第一項第一号の農地に該当するか否か、すなわちその買収計画の定められた昭和二三年一月二三日当時控訴人が右田地の所在地である生穂町に住所を有していたか否かについて考えて見るのに、第三者の作成に係り真正に成立したものと認める乙第六号証に原審証人滝本増也、鍵岡重明、黒谷甚作、桑名義夫、当審証人堀口専一、長浜喜三郎の各証言、原審竝びに当審における控訴本人の供述(尤も右証人滝本、鍵岡、堀口、長浜の各証言及び控訴本人の供述中後記措信しない部品を除く)を考え合せると控訴人は大阪市天王寺区上汐町三丁目にあつた事務所に居住して長らく金融業を営んでいたが、昭和二〇年戦災をうけてその住居を焼失したので大阪府豊中市小曽根浜三八〇番地の次男鍵岡陽方に住居を移し同所に居住していたところ、兵庫県津名郡生穂町中ノ内一四四二番地ノ一に居住していた父政吉が昭和二一年六月一九日死亡したので、控訴人は一旦同所に帰郷して葬式等のため暫く滞在していたが、大阪市で従来どおり十数人の雇人を使用して金融竝びに建物売買業を営む株式会社丸越商会を経営する関係と、その所有の不動産の管理等の必要があつて生穂町での用事をすませた後、再び前記豊中市の次男宅に戻り、ここから大阪市の営業所に通勤しており、生穂町の亡父宅にはその長男重明夫婦が居住して控訴人の亡父政吉の営んでいた保険代理業を引き継いて営んでおり、控訴人の同所にある財産も重明が管理していて、控訴人自身は月に二、三回日数にして数日間生穂町に帰るだけであつて、特に同所に住所を移さねばならぬような事情はなく、控訴人の妻も豊中市の次男宅に暮していることが認められる。前顕証人滝本、鍵岡、堀口、長浜の各証言及び当審証人宮部セイの証言(第一、第二回共)竝びに控訴本人の供述中右認定に反する部分は措信しない。右認定事実から考察すると控訴人の生活の本拠はその生活の手段である営業の中心であり且つ妻と起居寝食を共にし家庭生活の中心である前記豊中市所在の次男鍵岡陽方にあるものと認めるのが相当であつて、本件買収計画の定められた当時控訴人は生穂町内に住所を有しなかつたものといわなければならない。尤も成立に争のない甲第一三号証及び前顕控訴本人の供述によれば控訴人がその物資の配給籍を生穂町に移し且つ昭和二一年一〇月一九日生穂町内の主要な人々を招いて帰郷のあいさつの宴会を催したことが認められ、また控訴人が本件買収計画の定められた当時生穂町で配給物資の配給を受け、選挙権をもち、町民税等を納めていたことは当事者間に争のないところであるが、これらの事実は前段認定の事実及び物資の配給籍が単なる届出により住所の実体と関係なく容易に移転し得ることの顕著な事実に対比して考えると、控訴人は右生穂町の家を形の上で自己の住所として形式上生穂町の住民となるためになされたことであり、その結果これに基いて町当局や税務官庁等が控訴人を同町の住民として扱つたものと認めるの外なく、従つてこれらの事実は控訴人の住所が生穂町にあると判定する根拠となし難く、また成立に争のない甲第四、第九号証、第一一号証の一、二はいずれも決定的権限のない第三者が控訴人の住所に関する判断を表示した文書に過ぎないので敍上認定を左右するに足らず、その他右認定をくつがえすに足る証拠がない。従つて前記生穗町農地委員会が別紙目録記載の田地について、その所在地である生穂町内に住所をもたない、いわゆる不在地主である控訴人の小作地として定めた買収計画は適法であつて、控訴人においてその住所が生穂町内にあることを前提として右買収計画の違法を主張し、これに対する控訴人の訴願を棄却した裁決の取消を求める請求はその理由がないものといわなければならない。次に第二の争点である別紙目録記載の溜池が自創法第一五条第一項第一号の農業用施設に該当するか否かについて考えて見るのに、成立に争のない乙第二、第三号証、当裁判所が真正に成立したものと認める同第四、第五号証に当審証人原山世一の証言及び検証の結果を合せ考えると、原山世一の先代が控訴人先代政吉からその所有に係る兵庫県津名郡生穂町中ノ内字原頭一〇七四番田五畝六歩外一筆の田地を賃借すると共に、その補助灌漑用池として右溜池を借り受けて多年右田地の灌漑用として使用してきたもので、原山世一は父の死後右の小作関係を継承し、昭和二三年二四年度は日照りのため右溜池に水がなくて使用しなかつた外昭和二二年度まではこれを右田地の灌漑用として使用してきたこと及び右溜池の現況が右田地の灌漑用として使用しうるものなることを認むるに十分であつて、当審証人長浜喜三郎、梅本豊一の各証言及び前顕控訴本人の供述中右認定に反する部分はこれを措信せず、他に右認定をくつがえすに足る証拠がない。従つて自創法第一五条第一項第一号にいわゆる農業用施設として本件溜池についてなされた買収計画は適法であつて、控訴人において右溜池が右農業用施設にあたらないことを理由として同溜池について定められた買収計画の違法を主張し、これに対する控訴人の訴願を棄却した裁決の取消を求める請求も亦その理由がないものといわなければならない。
以上のとおりであるから控訴人の本訴請求はいずれも失当として棄却するの外なく、多少その理由を異にするとはいえ結局これと同旨に出でた原判決は相当であつて本件控訴はその理由がないのでこれを棄却し、控訴費用の負担について民訴第九五条第八九条を適用し、主文のとおり判決したのである。(昭和二五年三月二八日大阪高等裁判所第一民事部)
(別紙目録は省略する。)